英語110番は、大学受験向け、英語専門家庭教師です。
生徒の特徴を的確に見抜き、何を勉強すべきかをはっきりと示します。

■ コラム その2


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 ブログを始める前に、時折思いついたことを書いていたコーナー(その2)です。


No5: 文法はもう不要? (07年センター試験を終えて) (2007 1/24)

 受験英語に携わる者として、長年大学入試問題を見続けていますが、時の経過とともに、問題の質が変わってきたなとつくづく感じます。そしてその変わった点の1つに、いわゆる文法問題の減少、質の変化が挙げられます。

 例えば、今年(07年)のセンター試験第2問A(いわゆる文法・語法問題)で、次のような問題が出ました。
  問、空所に入れるのに最も適当なものを1つ選べ。
  My sister is in the front row in the picture. She is the one (   ) in her hands.
  1,of everything  2,of some things  3,with anything  4,with nothing
   

 この問題は、文の意味を予想しつつ、以下の文法ポイント

  ・oneは代名詞で「人」という意味がある。
  ・withには「〜を持った」という意味がある。
  ・someとanyの区別で、基本的に肯定文ではanyは使えない。

 を考慮すると、答が絞られてくるといった具合です。ただ、どことなくポイントが分かりづらく、感覚で解くべき問題だと いう印象さえあるかもしれません。

 一方、ちょうど10年前(97年)のセンター試験では以下のような問題が出ました。
  "He's a good skier, isn't he?"
  "Yes, he really is. I wish I (   ) like him."
  1,can ski  2,could ski  3,ski  4,will ski    

 この問題のポイントは、ずばり仮定法という文法で、I wishの後は、過去形か過去完了形が来ると いう文法知識さえあれば解けます。

 ちなみに以前は、97年の問題に代表されるように、文法のポイントがはっきりした問題が比較的多かったのですが、最近は、07年の問題に代表されるように、文法のポイントがはっきりしない、あるいはそもそも文法問題なのかと思えるような問題が多くなってきました。

 そして、その変化に比例するかのように、文法をきちんと学ばない(教わっていない?)生徒が増えてきたように感じます。

 確かに上記のように、文法をストレートに問う問題が減り、長文問題にしても、構造が複雑で文法を駆使しなければ読めな いような英文は減りました。これは英語の問題が健全になった(文法が全てではないので)ということで、喜ぶべきことです。

 しかし、だからと言って文法を学ばなくてもよいということにはなりません。そもそも文法抜きでは、体系的な説明ができませんし、段階を踏んだ着実なステップアップがしにくく、英語力が不安定なものになります。

 また文法抜きでは、せっかく英文を勉強しても、そこに含まれているポイントを他の英文に生かしにくい、つまり応用がききにくいと いうことになってしまいます。初めて見る英文を読まなければならない入試において、これは重大な問題です。

 さらには、文法をきちんと学んでいると、一見分からない問題に出くわしても、何か解決法があるはずだと思えるので、心理的に強気になれるといった隠れた効果もあります。

 上の07年の問題が、結果として感覚的に解けたと いう人もいるでしょう。でも、無意識のレベルでは、何かしらの文法が頭をよぎっているはずなのです。実際その問題を、全く文法的視点を持たず、とりあえずone of 〜(〜のうちの1つ)と言いそうだから、of 〜の選択肢を選ぼうというのでは、正解に至らな いわけですから。

 入試問題の質の変化から考えると、以前のように文法のために文法を学ぶ必要は少なくなったかもしれません。でも文法自体は役に立つのです。本当の意味でSVOCを理解していたり、関係代名詞はそもそも何なのかを知っていたりすると、文法問題だけでなく、英文解釈にも非常に役立つのです。実戦に役立つ形で学べば、文法は非常に有益なものなのです。文法を学びましょう。少なくとも文法的な視点は持つようにしましょう。

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No4: 国語力の低下といっても・・・ (2005 1/22)

 先の国際的な学力調査(04年結果公表)で、日本の生徒の読解力が8位から14位に下がった。簡単に言えば国語力が低下したと いうことだ。そして当然のことながら、国語力を始めとした基礎学力を上昇させなければ、という機運になっている。私も、長年生徒に接してきた身として、国語力の低下は肌で感じているし、大いに問題だと思う。

 ところで、世間で言う国語力の低下は何を問題にしているのだろう? センター試験のような「次の文章を読んで問に答えよ」式のテストの点が悪いことだろうか。それとも実生活でも必要とされる、文章を書く力の低下だろうか。

 前者のことであれば、個人的にはそれほど問題ではないと思っている。国語力の本質にかかわることではな いと思えるからだ。後者のことであれば、インターネット等、情報機器の発達も手伝って、かつてよりも文章を書く機会が増えていることもあり、大いに対策が必要だろう。

 しかし私が最も重大な問題だと思っているのは、国語の根本と いうよりも人間の根本とも言える「コミュニケーション能力」の低下、つまり、相手の言っていることを正しく理解し、自分の言いたいことを適切に伝える力の低下だ。

 コミュニケーション能力が低いということは、他者とのやりとりがうまく出来ないと いうことだ。当然、教師が言っていることが分からない、教師の指示を間違って受け取ってしまう、そして自分が分からないところを教師にうまく伝えられない、ということにもつながっていく。このような状態ではいくら授業を受けても、非常に効率の悪いものとなってしまうし、場合によっては授業自体が成立しなくなる。前述のセンター試験対策にしても、文章を書く対策にしても、コミュニケーション能力があって初めて出来ることだ。コミュニケーション能力低下の影響は計り知れないほど大きい。

 では解決策は? これは非常に奥の深い問題で、根本的な解決策を見いだすのは難しいが、さしあたって出来ることは「会話」、特に「テーマを設けた大人との会話」だと思っている。

 具体的には、他者の話を聞き、言いたいことはこういうことでいいのかと問いかけてみる。それによって相手の言っていることを正しく理解しているかを確かめるのだ。もし取り間違っていたら、その件で再び会話をし、なぜそうした間違いが起こったのかを探る。そして自分の言いたいことを他者に聞いてもらい、言いたいことが本当に伝わっているかを確かめる。伝わっていなければ、再びその件で会話をし、なぜ伝わらなかったのかを探るのだ。またこうしたことをする前提として、身近なことに対しても、世の中のニュースに対しても、自分の意見を持つと いうことが当然必要になる。

 自らの意見を持ち、会話することを習慣にしよう。授業を意味あるものにするためにも。そしてその先の目標を達成するためにも。

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No3: 「決まり事」と入試の合否 (2003 4/20)

 毎年、本人は入試の出来に自信を持っているにもかかわらず、結果は残念ながら不合格、という生徒に少なからず出くわします。そしてその原因はやはり、「決まり事」を知らないからではな いかと思えてなりません。というのも、生徒になぜその答にしたのかと いう根拠を聞いてみて、それなりの説明ができる者は合格、説明できず何となくそう答えたと いう者は不合格と、はっきり分かれることが多いからです。この件は実は以前から感じていて、「決まり事」を知らないことが、入試の得点にどう影響するのかという、具体的な事例を考えていたのですが、最近、こういうことではな いかという例に出くわし、ちょっとお話してみたいと思います。

 では、ここで英語の問題です。次の英文を訳してみて下さい。

 The experts went into the forest looking for medicinal plants.
   ↑ マウスポインタをあてると、意味が表示される単語もあります。
 ⇒ 答とつづきはコチラ

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No2: 教育とは? (2003 3/16)

 以前新聞で、ムツゴロウさんがこう言ってました。「教育とは情報として伝えられないことをつかませることだ」と。実に的確に本質を言い表してると思いました。

 そう、まさにコレなんですよ。受験勉強に話を絞っても、「頑張るということ」、「あっ、わかったと いう感覚」、「暗記して本当に頭の中に定着させること」、「理解するということ」などは、「じゃあ、これ読んどいて」って本を渡せば済むことじゃな いんですよね。勉強において最も根本的なこうした土台が揺らいでいては、「何を覚えるか」、「どう勉強するか」と いうことも無意味になってしまうんです。

 そして、これこそ、「人間対人間」でなければできないことであり、教師の存在意義もそこにあるのでしょう。受験英語とは言え、ものを教える立場の人間として、ムツゴロウさんのいう「教育」を忘れないでいきたいと思います。

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No1: 外国語を理論で学習するのは正しいのか?(2003 2/19)

 当ホームページの随所で述べているように、私の指導法は、文法というものを元に、英語を理論的に教えることを基本としていますが、そもそも、外国語を理論で学習するのは正しいのでしょうか。

 確かに総合的な観点から見れば、言語は「慣れ」で習得するのが本筋で、「理論」を第一に考えるのは間違いでしょう。それは母国語の習得過程を振り返ってみても明らかですし、外国語であっても、実際に使う場面では理論を考えている暇はないと いう意見もあるでしょう。

 しかし、こと受験のための英語を念頭に置いた場合、少なからず理論を用いてアプローチする手法は必要だと思います。もっと正確に言えば、幼少期、つまり言葉を自然に習得できる時期に外国語を学ばずに、一定レベル(中堅大学入試のレベル)以上の英文をきちんと理解しようとする場合、慣れだけではなく理論に基づいた学習が必要だと思います。

 その理由の第一は、慣れだけによる学習の限界です。内容的にやさしいお決まりの英文はともかく、ネイティブ並に英語を習得していない者が、構造が複雑で、内容的にも高度な英文を直感的に理解するのは困難です。やはり、英文をパーツに分けたり、主要な構造や修飾を考えたりといった、理論的なアプローチが必要でしょう。

 第二の理由は、入試というものの特性です。入試の英語では設問と いうものがあり、英文が何となく分かっても、設問に答えられなければ意味がありません。当然入試の作問者は、何らかの意図を持って設問を作るわけですから、答える側も何らかの理論の裏付けがなければ、自信を持って答えられませんし、特に記述問題では、作問者の満足のいく答案は作れないでしょう。

 断っておきますが、英語の学習において、理論が全てだと言っているわけではありません。本当の実力をつけるためには、一度学習した教材を何度も読むなどして体にしみ込ませ、つまり英語に「慣れ」、最終的には理論抜きで理解できる域に達しなければなりません。

 しかし、高度な英文を本当に理解しようとする場合、少なくとも学習初期の段階では、一旦理論で考えると いう過程を経なければ、理解のための糸口さえつかめません。そんなもやもやした状態では、上述の慣れの作業にも支障が出ると思われます。

 以上のようなことから、目的によっては、そして「慣れ」のための作業を行なうと いう条件付で、外国語を理論で学習するのは正しいと考えます。

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