英語110番は、大学受験向け、英語専門家庭教師です。
生徒の特徴を的確に見抜き、何を勉強すべきかをはっきりと示します。

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 ブログを始める前に、時折思いついたことを書いていたコーナーです。


No8: ダイエット・・・と英語学習!? (2008 5/30)

 昨年秋から今年の冬にかけて、私はダイエットをしました。方法は、昨年「いつまでもデブと思うなよ:岡田斗司夫著」という本で話題になった「レコーディング・ダイエット」です。「レコーディング(recording)」とは「記録すること」。1日に食べたものとそのカロリーを記録するのです。もちろん、記録さえすればやせるわけではなく(実はそれだけでも多少やせる要因とはなるのですが)、記録をとって、1日あたりのカロリー摂取量を一定範囲内(いわゆる基礎代謝量)に抑えるというわけです。その値は身長や年齢によるのですが、私の場合は、1500kcalでした。

 そもそも「消費カロリーが摂取カロリーを上回ればやせる」という、やせるメカニズムは納得していたのですが、カロリーをとらなすぎても、体が緊急事態と判断して、少ないカロリーでやっていけるようになってしまい逆効果、という情報もあり、はっきりした目安が書かれているこの本は、私にうってつけでした。

 ダイエット経験者、あるいはカロリーを気にしている人はわかると思うのですが、1日の摂取カロリーを1500kcalに抑えるのは、結構大変なのです。というより、最初は途方に暮れてしまいました。何しろ、自分では質素だと思っていた朝食でさえ、計算してみたら620kcalほどありましたし、外食で特別カロリーの高そうでない定食でも800kcalくらいはありましたから。相当節制するか、1日2食にしないと無理な数値ではないか、そんなつらいことが続けられるだろうか、というのが最初の率直な感想でした。

 ところが、ちょっと品目を工夫したり(朝食のソーセージをハムに変える、ドレッシングをノンオイルにするなど)、外食でも野菜の多いメニューにして、ご飯の量を少なめにすることで、結構カロリーが減らせることがわかりました(そう気づかせるのがレコーディング・ダイエットの効用)。そうは言っても当初は、物足りないなあという感じは否めず、つらさもありましたが、とにかく続けていくうちに、徐々にではあっても着実に体重が減るという効果が現れ、また食事の内容を一層工夫することによって、それなりの満腹感を得られるようになり、ダイエットはむしろ楽しい行為となっていきました。

 結果、私は約3ケ月で目標の10kgの減少(75kg→65kg)を果たしました。その後4ケ月ほど経っていますが、食べたいだけ食べていても、リバウンドはしていません。このダイエット法は、続けていくうちに「食べたい量 = 太らない量」に変化してくるので、もはや我慢をしなくても、結果として食べる量が抑えられるような体質に変わるのです。本当に優れたダイエット法だと思います。

 さてここでもう一度繰り返しますが、やせるメカニズムは「消費カロリーが摂取カロリーを上回ること」。これが条件です。なので、摂取カロリーを下げるために食事の量を減らすか、消費カロリーを上げるために運動をするかによって、ある種、体に負荷をかけることが必要です。

 英語学習も同じ(ちょっと唐突!?)。効果を上げるためには、頭(脳)に負荷をかけること、別の言い方をすれば、頭がフル回転している感覚のある勉強をすることが必要です。いくら食べてもよいといった、上記のやせる条件を満たしていないと思えるダイエット法は、効果が疑問なのと同様、聞いているだけでできる的な教材をただ聞いていたり、誘導で答えがわかるようになっている問題集を解くといった、頭に負荷がかからないと思える勉強法は、やはり効果が疑問です。

 効果を上げるもう1つのポイントは、継続です。体にしても頭にしても、負荷をかけるという行為は、やはり多少のつらさを伴います。このつらさに負けて継続ができないという例は多いことでしょう。前述のように、私も当初ダイエットはつらいと思いました。でも継続できたのは、効果が目に見えたのと、工夫によってより多くの量を食べられるので、その工夫がゲーム感覚で面白かったからです。ただ、継続しているうちに、つらさがつらさでなくなった、ということが一番重要なポイントとも言えます。同じ食事内容を続けていても、「これしか食べられないのかあ」が「まあこれくらいでも十分か」という感覚に変わっていくのです。

 そう、仮に今つらいとしても、今のつらさはずっと続くわけではありません。今のつらさはあくまでも今の基準によるもの。体にしても頭にしても、人間は変わるのです。変わった後の基準で見れば、今のつらさはつらいものではなくなるのです。

 何事も効果を出すためには、必然的につらい作業を伴います。ここはごまかさずに、正面から向き合わせ、でもその作業が継続できる環境を提供し、一刻も早く、つらさがつらさでなくなる時を迎えられるようにする。そんな英語の指導ができればな、と思っています。

   ・・・ちなみに現在、教え子が同じ方法でダイエットを実行中。ガンバレ!

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No7: ゆとり賛成・ゆるみ反対・・・凡人の視点で (2008 4/11)

 実はこれから述べることは、5年前の文部科学大臣の発言を機に考えたことです。古いネタなのですが、時代の変化により逆に、タイムリーな話題となったかもしれません。

 02年の学習指導要領の改訂を機に始まった、いわゆる「ゆとり教育」への世間の非難に対し、03年に文部科学大臣が、「ゆとり」そのものが問題なのではなく、「ゆとり」を「ゆるみ」と間違ってとらえられたのが問題なのだ、という旨の発言をされていましたが、全く同感でした。当時私が漠然と問題意識として持っていたものを、実に簡潔な言葉で言い表していただいた、と思いました。

 それから5年、世の中はすっかり「脱ゆとり」に向かいだしていますが、凡人である私としては、実は未だに「ゆとり」そのものには問題はないと思っています。問題なのは「ゆるみ」です。

 そもそも、ゆとりではない教育を受けた、凡人である私自身の経験を振返ると、特に高校時代は、やるべきことが多すぎて、十分に使いこなせるようになるまで暗記したり、じっくり掘り下げて考えたりする余裕はなく、いつもその場しのぎの勉強で終わっていた(というより、終わらせるしかなかった)ような気がします。同じような経験をお持ちの方いらっしゃいませんか?

 思うに、その人が対処できる適量を大幅に超えると、もはやいかに身につけるかというよりも、いかにその場をしのぐかという方向に走り、きちんと暗記する、きちんと考えるといった、肝心な勉強に対する正しい姿勢が崩れてしまいます。多くのことを学ぶに越したことはないのでしょうが、この肝心な姿勢が崩れてしまっては元も子もありません。この姿勢を崩さないためにも、量、少なくとも学校で皆に課す量は、もう少し少なくてもよいと思うのです。(適量の基準は人それぞれで、学校はどこを基準にすべきかは難しい問題ですが・・・)

 勉強においては、何を暗記するか、何について考えるかという題材(科目)も大事ですが、暗記・思考という行為そのものを鍛えることはもっと大事です。大体、一部の優秀な方以外、今大人の方で、例えば高校時代に学んだ科目について、全てにわたって満遍なく覚えている人は、ほとんどいないのではないでしょうか? むしろ今も残っている、あるいは役立っているのは、その科目をきっかけとして、その時に鍛えた記憶力、思考力、集中力などではないでしょうか? そうした力をに確実に鍛えるためにも、勉強の題材の方はもう少し少なくてもよいと思うのです。

 冒頭の「ゆとり」「ゆるみ」に絡めて言えば、将来にわたって残る大事なものを習得するためには、「ゆるませない」ことが必要で、そのためには、においても、題材においても「ゆとり」が必要なのです。

 私が教える英語に関しては、基本的には大量の暗記が必要ですが、そのためにも、暗記そのものの力暗記に対する正しい姿勢を鍛えることが必要です。なので、そこが揺らいでいるようなら、ただいたずらに大量の課題を与えるのではなく、題材の量に「ゆとり」を持たせてでも、暗記の作業自体には「ゆるみ」を持たせないようにします。

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No6: 凡人よ共に頑張ろう (2008 3/20)

 凡人とは辞書的には「普通の人」ですが、英語110番的には「努力するとできる人」です。裏を返せば、努力をしないとできない人とも言えますが、凡人である私は、凡人に決してマイナスイメージを持っていないので、やはり凡人は「努力するとできる人」なのです。一方で、能力やセンスが優れていて、凡人ほど努力をしなくてもできてしまう人がいます。

 さてそうした「できる人」に英語の勉強法を聞くと、別に特別なことはしていないよとか、慣れるために練習問題を多く解いているとか、志望校の特徴をつかむために過去問を解いている、といった答えが返ってきます。この答えにもちろん嘘はないでしょう。その通りなのだと思います。ただしこれは、「できる人」にのみあてはまります。凡人には適用できません。というのも、英語の習得で最も重要なことが抜けているからです。それは「暗記」特に「単語の暗記」です。そもそも、単語がわからない英文がわかるわけはないですし、本来頭の中に何かが入っていなければ、思考だってできないわけですから、当然暗記が疎かでは本当の英語力は身につきません。

 ではなぜ、「できる人」は勉強法として「単語の暗記」と答えないのでしょう? 実は陰での努力を表に出さないだけかもしれませんが、ほとんどの場合は単語の暗記ができてしまうからです。それは、練習問題を解く過程で単語も覚えられてしまうのかもしれませんし、幼い頃に大量の英語に触れ、単語が覚えやすい頭になったからかもしれません。とにかく暗記できてしまうのです。なので、勉強法の重要ポイントとしては意識されません。

 しかし凡人は、単語が自然に暗記できることはあまり期待できません。やはり、意識的に努力をして暗記しなければなりません。

 さらに、難しい英文を上手に訳せる「できる人」に、なぜそう訳せるのと聞くと、何となくだよとか、何かそういう風に思えるんだ、といった答えが返ってきたりします。これも「できる人」ならではの感覚なので、そうか、英語は感覚なのかと、凡人は間違っても思ってはいけません。「できる人」は、特に文法や読解法を身につけるぞと意気込まなくても、それらが意識下で自然に身につくのかもしれません。

 しかし凡人はこれを期待してはいけません。凡人は意識的に文法を学び、そして暗記する必要があるのです。文法をやらないと英語が全くできないわけではありませんが、直感のみで処理することになりますから、理解できる英語のレベルは必然的に下がります。少なくとも凡人が一定レベルの大学入試に対処するには、文法の力を借りて、直感でわかるより上のレベルの英文も読み解けなければなりません。

 以上は、凡人である私自身の経験と、英語の苦手な多くの生徒を見てきた経験から、強く感じていることです。凡人が本気で英語力をUPするには、やはりそれなりの努力が必要です(もちろん私は、その努力が最小限で済む工夫をします)。慣れればいいんだよとか感覚だよといった、「できる人」側からのメッセージに惑わされず、単語や文法の暗記といった地道な努力が続けられる精神状態を作るために、凡人は自らが凡人だと意識する必要があると思います。

 凡人は損だなあ、と言いたくなるかもしれませんが、もはや「やればできるのだからやる」か「やらないとできないのならやらない」かの選択です。少なくとも英語は、正しくやりさえすれば、母国語のレベルにはなるのです。本気で頑張ってみませんか

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